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なぜ「味の素」は、体によくないといわれるのに売れ続けているのか?

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「化学調味料=毒」説の肯定派と否定派の議論から、「だし」文化を考える 

1909年の発売以来、健康問題の論争が続いている化学味調味料の「味の素」 

あなたは「どっち」派ですか?私は後者の否定派ですが、違う意見もあるのであれば、一方的に決めつけるだけでは真実を追求することはできないと思いました。皆さんも反対の意見を聞いてみて考察してみてはいかがかと思いお伝えすることにしました。

体に悪い、というネガティブなイメージを持つ人が多くいますが、最近になって、再び「味の素=毒」説を肯定する人と否定する人の論争が起こっています。 

きっかけは人気料理研究家のリュウジ氏が、SNSに寄せられる「味の素=毒」派の批判に対して以下のような投稿をしたことでした。
『マジでなにが体に悪いのかちゃんと説明してほしいんだよな』 

リュウジ氏はかねてから料理で「味の素」を愛用しており、「昔から毒として有名な味の素を人にすすめるなど人殺しだ」などと心ない批判を受けていました。 

そこで昨年10月に反論として『料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?』(河出書房新社)という書籍を出して、活用レシピだけではなく安全性を訴えました。
リュウジ氏側からすれば、これで論争に終止符を打つことができると思ったのですが、それがかえって「毒派」の人たちの怒りに火をつけて、炎上しているようです。 

「中華料理店症候群」の後遺症 

女性が選ぶ商品を調査し、ランキングにして発表する「ウーマンリサーチ」によれば、調味料を購入する際に重視したことの2位が「化学調味料の無添加」でした。
2割の人が化学調味料を避けています。 

化学調味料は体に悪い、というネガティブなイメージを持つ人が多くなる引き金になったのは、1968年にイギリスの医学雑誌に掲載された「チャイニーズ・レストラン・シンドローム(中華料理店症候群)」と題する報告でした。 

そ の内容は、中華料理を食べたあとに頭痛や発汗、しびれなどの症状が多数起きているというものでした。
その原因のひとつとして、中華料理に多く含まれるグルタミン酸ナトリウムの可能性が示唆されました。 

1960年代後半は食品添加物や公害の問題が表面化し時代で、最初のうちは未来の調味料としてポジティブに語られていたのが、後になって「化学調味料」という呼び方がネガティブなイメージに変わり、あだになりました。

安全証明後でも、化学調味料を駆逐して需要を伸ばした調味料とは? 

こ の騒動はその後の実験を通じ、グルタミン酸ナトリウムと症状との関連は証明できないとの結論に達しました。
WHOなど国連の専門機関が1970年代から数度にわたる審査を繰り返し、1987年には1日の摂取許容量を制限する必要がない安全な添加物であるとのお墨つきを与えています。 

しかし、いったん広まった不信感が消えることはなかったのです。
業 界は1985年に名称を「化学調味料」から「うま味調味料」に変えたものの、時すでに遅しでした。
漫画『美味しんぼ』(小学館、1983年)や、200万部を超えるベストセラー『買ってはいけない』(週刊金曜日編、1999年)など多くの書籍でやり玉に挙げられました。 

その影響はじわじわと市場に現れて、年間購入額で見ると1968年の年間
1345円をピークに減少の一途をたどり、1999年の年間261円を最後に、「他の調味料」に吸収されてしまいました。
う ま味調味料の代わりに需要を伸ばしてきたのが、顆粒(かりゅう)だしやコンソメ、液体だし、めんつゆなどの調味料です。
なかでもめんつゆは相次いで醬油メーカーが参入し、1960年には年間2千キロリットルの販売量だったのが、現在では100倍の年間20万キロリットル前後に急増しました。
今やめんつゆは「めん料理」だけでなく、煮物や和えものにも使える万能調味料として、料理番組やレシピ本でも頻繁に取りあげられています。 

しかし、これらの商品の原材料表示をよくみると、「調味料(アミノ酸等)」と書かれていることが多いのに気づきます。 

終わらない「味の素」論争 

添 加物としての調味料は、グルタミン酸などの物質名まで書かなくてもよいことになっています。
表示する際には「調味料」のあとにカッコ書きで、アミノ酸や核酸などのグループ名を明記する決まりです。
「調味料(アミノ酸)」と記されているならば、アミノ酸系の調味料のみが使われていることを示しています。
「調味料(アミノ酸等)」ならば、アミノ酸系の調味料を主に、ほかに核酸系などの調味料も使われていることを意味します。 

つまり、粉末の形では目にしてはいないものの、知らず知らずのうちにグルタミン酸ナトリウムを日常的に使っている可能性が高いということです。
多くの人は「めんつゆ」を常備する一方で、「化学調味料」は買い置きしていません。 

そんなタブーを破ったのが、リュウジさんなどの新タイプの料理研究家です。
うま味調味料を公然と使う料理研究家が現れ、しかもその味を支持する大勢が可視化されたことは料理界において衝撃だったにちがいありません。
しかし、それは賛成派と同時に根強い反対派を炙り出してしまったのです。
リュウジさんのX(旧・ツイッター)では、味の素反対派とのバトルがたびたび繰り広げられています。
「味の素」の誕生時から繰り返されてきた論争は、終わりそうにありません。 

過熱する「味の素論争」の裏で「だし」がブームに 

化学調味料自体に毒性はないとされていますが、問題なのは、これさえ入れておけば簡単に料理がおいしくなってしまうため、だしをとらなくなってしまう点です。
だしにはビタミンやミネラルが非常に豊富です。つまり問題は安全性ではなく、化学調味料でおいしくなった料理は栄養が少ないということです。

だしを取らない、だしブーム 

化学調味料の論争が渦巻く一方で、その原点である「だし」は、ここのところ息の長いブームになっています。
火つけ役は2006年に「だしパック」を売り出した茅乃舎(かやのや)だとされています。
しかしブームのわりに、だしを自分で取っている人はそれほど多くないようです。
日本昆布協会が2016年に行ったアンケートの結果では、「あなたは普段の料理で、主にどんなタイプのだしを使っていますか」という問いに対し、「顆粒だし」と答えた人は64%。
「だしパック」や「液体だし」を使っている人を合わせると、80%を超えます。
いっぽう、昆布やかつお節などの素材からだしを取っている人は18%にすぎません。 

多くの人が「だし」の取り方として、まっさきに思い浮かべるのは昆布とかつお節の合わせだしでしょう。
水から昆布を煮て沸騰直前に取り出す→煮立ったらかつお節をバサッと入れてアクをすくいながら1分ほど煮て火を止める→かつお節が沈んだら漉して完成です。
でも、面倒臭さからちゃんとだしを取るのはハードルになっているのではないでしょうか。
そんななかでベテランの料理研究家から「今の人は、だしといえば昆布とかつお節ってすぐ思う。でも昆布は高いから毎日使うのは大変。昔はそんなことなかったよ」と言って、普段は「煮干し」を使おうという発言が出ました。
同じく、料理のプロからだしをもっと気軽に捉えようというメッセージが発せられました。
その筆頭が、料理研究家の土井善晴さんによる『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社、2016年)です。
同書では繰り返し、「具材のうま味があれば必ずしもだしは必要ない」ことが語られます。 

土井善晴さんがたどりついた「一汁一菜でよい」という提案 

土井善晴さんのインタビュー記事を紹介します。 

■ 著書のなかで、「お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んで欲しいのです」という最初の1行がとても印象的です。どんな想いで、この本を書かれたのですか? 

土井 何か、私の周りにいる人たちが皆、「毎日の食事作りが大変だ」と訴えるんです。いろいろ聞いてみると、仕事で帰りが遅くて家でお料理する気になれない、子どもが手を離れてモチベーションがなくなった…など、できない理由はいくらでもあるのです。
食べることの大切さは体で知っているけれど、何をどうすればいいのかがわからない。
でも、自分と家族を守るということなら、何もそんなにむずかしく考えなくてもいい。
心の置き場、基本となる形さえもっていれば、もう食事作りに悩むことはないんだよと伝えたかったのです。
一汁一菜、ええことだらけですよ。 

■心の置き場となる基本、それが「一汁一菜」ということですね 

土井 そう、食との向き合い方に悩む人にとって、わかりやすい入口になるのではと考えたのが“一汁一菜”やったんです。
一 汁一菜とは、ごはんを中心として、汁(みそ汁)と菜(おかず)それぞれ1品を合わせた和食の原点ともいえる食スタイルです。
ごはんを炊いて、具だくさんのみそ汁をつくる…これだったら料理の上手下手もないし、男女の違いもないし、一人からできる。
そして、具材のうま味があれば必ずしもだしは必要ないんです。
栄養面でいえば、日本人はずっとこれを続けてきたのだから、毎日3回ずっと食べ続けたとしても元気で健康でいられるはずです。
日常の食事を一汁一菜と決めてしまえば、食事作りのストレスはなくなります。 

一輪の花を愛でるようにみそ汁を味わう 

■ごはんとみそ汁だけでよいと太鼓判を押されると気持ちが楽になります。でも、それだけでよいのですか? 

土井 一汁一菜は決して手抜きではありません。
素材の持ち味を引き出すにはシンプルな料理がいちばんです。
家庭料理は手をかけないことがおいしさにつながるのです。
一汁一菜のすごいところは、毎日食べても食べ飽きないということです。
素材が季節によって変わるということもありますが、それ以上に、ごはんもみそ汁も漬物も、どれも人間が意図してつけた味やないからです。
「今日は昨日とは違うね」と、風景を眺めるように味わってみませんか。 

一汁一菜はあくまでも“スタイル” パンもパスタも「あり」です 

■一汁一菜のよさがよくわかりました。ただ毎日和食だけというのはちょっとさびしいような気もするのですが… 

土井 洋食や中華が食べられないということはありません。
私だってパンも食べますしカレーも食べます。
一汁一菜というのは、ごはんの代わりにパンでも麺でもいいけれど、一汁一菜という一つの型をいつも頭の中にイメージしてください、ということなんです。
また、時間や気持ちに余裕があるときには、お肉や魚でおかずを作ってもいいんです。いまはお料理がたくさん並んでいることが当たり前になっているけれど、一汁一菜が当たり前になれば、いつもはないはずのさんまやハンバーグが食卓にあるのだから、子どもたちは大喜びです。
一汁一菜という原点のスタイルに戻す、つまり「初期化」することで、いろんなものがリセットできます。 

台所のにおいで、愛されていることを実感する 

■食育の観点からみて、「一汁一菜」はいかがでしょうか? 

土 井 食育というと、子どもたちといっしょに料理をするというイメージがありますが、子どもはお父さん、お母さんのやっていることを見てたらそれでいいと思うんです。
お手伝いを無理にさせなくても、ただ、「ただいま」と家に帰ったら台所からいいにおいがするということだけでも充分。
ああ、今日はうどんやなとか、カレーやなとか、あ、今日は魚煮つけてるなとか…。
そういう台所の気配やにおいで愛されていることを全身で感じ、生きる力が育まれていくのです。
いまはすぐに「おいしい」か「おいしくないか」ばかりが話題になりますが、家庭料理はおいしいものばかりである必要はありません。おいしくない体験をすれば、いつもとちょっと違うね、この違いって何なのと考える。そしたら、今日はお母さん疲れていてやる気のないごはんなんやってわかる。
うちのお母さんは料理下手でも毎日作ってくれた、ということのほうがはるかに大事なんです。
一汁一菜の型をきれいに整えれば、自然と姿勢が正される気持ちになるでしょう。これが食育のはじまりです。
反対意見をいくら聞いても私の「否定派」は変わらないと思いますが、少しは肯定派の意見にも聞く耳を傾けてみたいと思います。 

by株式会社 大東建設 阿部正昭

 

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